1.コンピューター
2008/09/28 22:23
株天太郎・奮闘記
No.1 コンピューターと株天太郎
若いころ、波動が見える銘柄の株を1ヶ月に2回ほど、売ったり買ったりしていた。
コンピューターで分析したら、相当効果的な投資ができるだろうと思っていた。
しかし、パソコンなどない時代だった。
スーパーコンピューターなど夢のまた夢、ただただコンピューターの基礎を勉強していた。
ゼロ_0000,イチ_0001、ニ_0010、サン_0011、シ_0100、ゴ_0101・・・
両手の指が自由に動くまで、2進数と16進数のお勉強、毎日毎日・・・
なんでも(計算)オーケーになったので、こんどはCPUの論理のお勉強。
10年ほどたつと、8000、8080等のマイコン(チップ)が発売された。
秋葉原に通いつめて、何とか1台、自作のマイコンを作り上げた。
といっても、キーボードもCRTもプリンターも何もなかった。
ハンドアッセンブルで動かすだけ、頭の中にCPUがあったようなものだった。
これで、開眼した。
アッセンブラやコボル等の言語が理解できるようになっていた。
世の中にパソコンがなかったので、オフコンの中古をただでもらうことにした。
就職情報で見た会社へ行って、”給料いりません、ただでいいから雇ってください”
と、オフコンのソフト屋さんの社長に懇願した。
いい人だった。雇ってくれた・・・
一所懸命(ソフトを作って)いたら、1ヵ月後、給料払ってくれた。ホント!
うれしかった。
あとは、リースあけの廃棄するオフコンをもらってくるだけ。
馬鹿でかいオフコンを設置するための事務所を用意しなきゃ!、と思っていたら・・・
あれよ、あれよ、といってるうちに、パソコンの時代になってしまった。
何千万もするオフコンが、毎年、毎年、半額になっていく。
オフコン屋にとって、恐怖の時代だった。
”これから、パソコンの時代が必ずきます、だからパソコン用のソフトを開発しましょう。”
といつもでかい声でしゃべっていたら、先輩たちに嫌われ居場所がなくなってしまった。
会社やめたら6ヵ月後に親会社が超大型・世界的大企業の子会社になることが決まった。
失敗した・・・
でも、パソコンの世界へ移ったら、会社を替わるたびに、年収は100万づつ
アップしていった。
そして、バブルの時代。
ソフト屋さんがグループで独立するときの夢は、
10人で1億かけて1年間でソフトを開発し、バンバン売ることだった。
一人で独立する場合のソフト屋の夢は
数年分の生活費を稼ぎ出し、一人で夢のソフトを作り上げることだった。
私は10数年分の生活費を稼ぎ出し、夢のソフトに挑戦した。
つづく
()内修正 2008.10.04 15:40